知る知らざるはひとによりけり


2リットルペットボトル二本を日中で空けてしまうという猛暑。神沢です。





自分の名前、神沢正道って自分が書いた処女作の主人公なのですが、
その時のことをいまだ身内仲間うちの一人が憶えてて驚きました。


高校の時でしたねえ。
当時の自分は今で言う『厨』でした。


学園モノの構想を練っていて、
まあ結局書かずじまいだったのですが、
いろいろとそれについて熱いトークの一人語りなどをしていたのです。
思い起こすとなかなか語るのが恥ずかしいですね。



神沢正道を小説の登場人物として描いたのは一編だけで、
その後はずっとお蔵入り。



大学に入って二十歳の頃、
友人に誘われて同人活動に加わったんですよ。
内容は飯スタントと写植でした。裏方さん。
それでも本の後ろの部分にコメントを乗せてくれるというので
掲載する文章と一緒になにか名前を考えてねと。



本名ではちょっとかっこわるいかなと思いました。
自分が写植を当てている仲間達はみんなペンネームを持っていたので。


……本名がかっこわるいって言ったら親と先祖にケンカを売っているようなモノで自己否定にも繋がりかねませんが、まあなんというか、ペンネームを持っているとかっこいいと思った、というところでしょうか。


当時自分が読んで感銘を受けた文章の中にこんなのがあったんですよ。
「初めて書く作品は幸せな結末にしなさい」
「主人公は幸せにさせなさい」
それが人物であれシナリオであれ、初めて生まれるものは祝福されるべきだという説明が続いていた覚えがあります。
どなただったでしょうか。有名な小説家の方の言です。


なので処女作の主人公、神沢正道はその存在を祝福されるべきものだという考えがあったんです。
いいヤツだ、めでたいヤツだ、ういヤツだ。
とにもかくにも自分が作家として初めて登場させた人物です。



思い入れ、というものとはちょっと違うのですが、
何十人も作ったキャラクター、
その中で一番最初の一人として、
自分の中で揺るがない位置にいたのです。



話は戻って同人活動


名前を名乗れとは言われたものの、急なことでしたから準備などありません。(普段からいつ使うかわからない別名を持っている人ってそうはいないと思います)


アタマの上で光った裸電球ひとつ。



神沢正道




名の由来を聞かれたときに答えやすいと思ったんです。
「自分が初めて書いた小説の主人公です」
ね?



『神沢正道』
17歳の時に初めて書いた短編の登場人物名です。
それを自分のペンネームにしたのは20歳の時。




飯スタントや写植から離れて、
自分で二次創作の小説を書くようになってからも名乗りました。


時代はインターネットとなり、
初めてホームページを作ったときもハンドルネームというものがよくわからなかったのでペンネームをそのまま使い続けて神沢正道。




いつの間にか、かつて自分がこしらえたキャラクターの名ではなくなり、
自分の名前になっていました。



そして本日のこの場の冒頭に戻るのですが、
身内仲間うちの一人が一番最初の『神沢正道』を詳細に憶えていてびっくりしたのです。


状況を説明しますとこんな感じです。
お夕飯に行こうと誘われて乗った車中であるネタの話になり、
「あ、それこないだブログに書いたよー」と、自分。
車中は自分を含め三人で、
一人は神沢正道をまったく知らない。
一人は神沢正道の名前で活動していることを知っている。しかしこの場を読んだ事はない。(前述の短編は読んでいた高校の同級生)



前述の方が「神沢正道って?」と、訊ねたときに後述の方が説明されたのが、自分の処女作。……よく憶えてましたねと言わんばかりに詳細でした。自分が忘れてたところまで。



現状での認識の乖離。



今では神沢正道って、
あのとき書いた小説の登場人物じゃなくて自分のことなんですよ。
名乗るのは今年で15年目になります。



自分の神沢正道15年間はその人には空白なので、
認識のされ方としては確かに正しいのです。


コミケで売り子してたり、その直前は缶詰状態の同人作家さん達に食事を作ったり、マンガのコマは吹き出しに合わせて写植を打ったり、えろげーの二次創作で小説を書いていたり、サイト(先代の)を開いてそこで文章創作やってたり……。
ご存知無かったわけです。



当然今のこの場も読まれておらず、
この場のコンテンツ、英語訳も動画紹介も家庭菜園も全てご存知はない。
16ヶ月毎日更新しているこの場にご来場されたことは……たぶんないでしょう。今回話題にしたからそのあたりは読まれるのかなあ。



それでごく自然に日常会話してこの日も一緒のお夕飯なのだからおもしろいなあと思いました。つくづく人間っておもしろいなあと。




これってね、
この場はネットの話題だけに限らないと思うんです。



近い人ほど遠かったり、
遠い人ほど近かったり、


そんなことってよくあるんじゃないかなあって思います。


その人のことを知っているはずなのに何も知らなかったりとか、
その人のことを知らないはずなのによく知っていたりとか。



以前に『氷山の一角』というネタでお話しさせていただいたことでもあります。
これです、
明日からは師も走ります。
自分のこの場の過去ログなのでクリックしても大丈夫です。


人と人って、
見えているようで読めているようでそうではないところの方が大きいのだなあと思うのです。



楽しくもあり、
ときにはつらくもあり。



そう思うのです。


うん。