日曜、夕刻、駐車場にて

どうされました?
「バッテリーが上がってしまって」
では繋げましょう。
神沢です。



ショッピングセンターの駐車場で困っている様子のワンボックス車とそのご家族さんでした。
開いているボンネット。
車内からは光の漏れる様子は無し。
たぶん……だろうなあ、と。



時は夕刻日曜日、陽も落ちて涼しくなってくる頃合いです。
これがagehaさんとチャラ男くんだったら爽やかにスルーしてたのですが、チビッコさんのシルエットが見えたので。


楽しい家族デートのオチの付き方としては見ていてあまり楽しくない構図です。なのでお声かけさせていただきました。


ハザードを炊いてノーズトゥノーズ。
カニバサミ(ブースターケーブル)はワンボックスのお父さんがお持ちでした。我が仔、ニッサン・エクストレイルにも積んであります。
自分も人のコトは言えませんが、救助道具を持っていても自分が要救助車両になってしまったら本末転倒になっちゃいますね。


まあ、
それでワンボックス一家さんは無事に帰宅の途へつけたようなのでめでたしめでたしと。自分も買い物へと向かいました。




思ったことは二つですね。
悪行、それと功徳。


今回のこの一件、
成立条件が悪行とまったく同じなんです。
その昔エアソフトガンの不法改造がメディアでいろいろ言われてまして、
あるメーカーのある銃が改造すると実弾が発射できると報道されたんですよ。アサヒのM40と言えばピンと来る御仁もいるかと。
所ジョージがこの件に対してテレビで猛反発してまして。
そんなコトするのは三つ条件が重なったときなんだと。
『技術』『道具』『実行する意志』
この三つが揃わなければ他の二つが満たされていても成立しないと。


今回まさにそうだったわけで。
『技術』バッテリー上がりの車両を救助する方法
『道具』カニバサミ
『実行する意志』神沢のお声掛け
どれか一つその場に欠けていても救助はできませんでした。


でね、
それら三つを揃えることは容易いことではないとしみじみ感じました。
ワンボックス一家さん、自分が気付いたときには
・ボンネットが開いていて
・車両の外に奥さんとお子さんがいて、
・お父さんは車内でなにやら読み物をしていました。(保険屋さんかJAFに連絡しようとしていたのでは)


車が動かないことに気付いてからこの状況になるまでどれほど時間が経っていた?


自分が気付いたのは
ワンボックス一家さんの数台隣に空き駐車スペースを見つけた瞬間からです。
あれー? あそこの車、ボンネット開いてる。
とりあえず駐車します。よね。
窓越し数台先に観察。
チビッコさんと女性がいて、男性が車内。車内から光が漏れてない。
じゃらじゃらじゃら、ちーん。
「ご家族でお買い物に来て帰宅しようとしたらバッテリーが上がっていたのでは?」
自分カニバサミ積んでたよなあ。
お声掛けしてみるかなあ
でも違っていたら恥ずかしいよなあ。
……通行人のフリして通りがかってみるか。
店と方向逆だけど……。


開いたボンネットからカニバサミが伸びていたので、ガチ。
そして本日この場の冒頭シーンへと。


自分のこの行動の間にワンボックス一家さんのそばを何台も車両は通り過ぎていました。


見えていたはずです。
気付いた人もいたはずです。


ワンボックス一家さんが救助されなかったのはなぜか?


三つの条件を満たした方がいなかったからなのではないかと。
「技術がない」「道具がない」「その気がない」
どれか一つか、それとも複数かだったんですね。


人は悪意を持っていないとしても善意の履行には条件が必要。
自分も相手が『agehaさんとチャラ男くんだったら爽やかにスルーしてた』のですしね。


「困っている人がいたら助けましょう」


それ自体は簡単に口や文字にはできますけれども、
実行するというのはそう簡単なモノではありませんでした。






もう一つ、功徳。


この場では仏教に関する事柄をいくつかあげさせていただいたことがあるのですが、その関連として。


自分が宗教のことをことさらにわいわい言うのは一つに
「自分自身のアイデンティティを確立、認識してください」
ってことなんです。
言い換えれば
「自分が何者なのかを知ってください、理解してください」
ということです。


自分が英語の話をするときと理由はまったく持って同じです。
「英語ができると便利ですか?」
英語ができること自体に便利なことなどまったくもってなにもないです。
言語はコミュニケーションツール、つまり道具です。
ハサミやボールペンと同じです。
それを使ってなにをやるかが重要なことなんです。
以前も言わせていただきました、
チビッコに英語を教えても意味はないですよと。
国際社会に出たらまず最初に日本人であることを聞かれるんです。
英語で日本のことを聞かれるんです。
同じ日本人同士だって初対面の方なら相手のことを知ろうとしますし、同じように訊ねられますよね?
それが国際社会で起きるだけのこと。
ですのでチビッコさんは国際人として育てる前にまず日本人として育ててくださいと申し上げました。


このアイデンティティを認識、確立する。
つまり自分が何者なのかを言えるようになるといった部分で、
ご自身の宗教はなんなのかをきちんと理解して下さいと申し上げます。
毎回宗教の話をするときに「特定の宗派への勧誘を目的としていません」と申し上げているのはこれが理由です。



ちょっと脱線しました。
功徳の話。


仏教では修行をすることが重要なこととされ、
その修行の内容も
ああいうときにああしなさい
こういうときにはこうしなさい
それぞれものすごい数の修行があるのですが、
実際問題市井に生きる自分達には難しいことが多いです。
では、根幹に関わることとしてどんなことがあるかなと言いますと、


『功徳を積む』


こういうぼんやりした表現になります。


じゃあ功徳ってなによ?


これはこれでああいうときには(以下略)なんですが、
一つには、


『善行(よいおこない)を積み(重ね)ましょう』


があります。


これはどんな宗教でも同じコトですね。
基準となる物差しが宗教宗派によって違うだけで。



今日の一件はワンボックス一家さんの救助があり、
その後の帰り道にふと思ったんですよ。


「これも善行っちゃあ善行だなあ。功徳を積んだことになるのかなあ」


ふと、ね。



正直、
あのときなんで救助したのかはわかりません。
仏教徒だから? そんなこと考えませんでした。
見返りが欲しかった? それも無いなあ。


なんであのときお声掛けしたんだろう?
出た結論は一つでしたねえ。


「困っている人を助けることができていいことをしたんだと思う。なのでいいことをした自分は気分がよいのです」


そこかなあと思うのです。



うん。