お彼岸


停電中にコンビニさんへ行ったらいつものおばちゃんさん(店員さん)に「ねぇ〜ん、神沢さぁ〜ん、買っていってよぉ〜」とせがまれ半額見切りのお弁当とおにぎりを買わされたでござる。神沢です。


コンビニでもセーブオンさんは半額処分するんですね。
廃棄よりはいいと思いますし、これも“motainai”としてはいいことだよなあと思います。そんなこんなで。





はい。本日はお彼岸の入りということで、
それに合わせまして宗教についてのお話をさせていただこうかなと。


つきましては毎度のことなのですが
宗教のお話をする際に自分が毎回必ず申し上げていることがあります。
では今回も。


・自分は特定の宗教、宗派への勧誘をいたしません。
・宗教は生きている人間のためにあるモノです


勧誘はしません。
勧誘はしませんが、
いわゆる『布教』に当たるようなことを書かせていただくことになります。


んー、今日、というか今回。(明日も続くかも知れませんので)
みなさんにお願いしたいことがありまして。
それは
「今回のお彼岸でお墓参りに行ってください」
ということです。



今日は論文テイストでいきますよー。
論文は三回同じことを言うんですね。
【序論】お墓参りに行ってください。
【本論】なぜお墓参りに行ってくださいと言うのか、それはこういう理由です。
【結論】だからお墓参りに行ってください。
最初にこうやってお話し(スピーチ)の仕方、そのネタ晴らしをすると効果は半減するような気もしますが、それはそれ、これはこれ。
自分は最初からネタ晴らしします。
表舞台も舞台裏も袖も楽屋も全部さらけて行きますですよ。
その上で、読んでいただいて何か感じていただければ幸いかなと。


ずいぶん長くなりましたし、本来の【序論】としては失敗なのですが、
とにもかくにも今回の序論、重ねて言いますが、
「お墓参りに行ってください」


そんなわけで本論に行きますよー。
でわ。



今回の震災のお話にも絡んできます。
多くの方が亡くなり、戦後最大の災害とも言われています。
そこでその場でですね、
あまり考えたくはないのですが、
「火事場泥棒」なんて不逞の輩も居りまして。


震災が起こってその直後はtwitterなんぞを眺めておりましたら、
『女性にお手洗いを貸すといって暴行に及ぶ者がいる』
なんて話を見かけたりして。
事実かどうかは理解りませんが、あるとしたらずいぶん人でなしだなとは思いました。……ちなみにずいぶん根性入ってるなとも。無理矢理にでも女とやれりゃ手前ェの身はどうでもいいのか、と。自分現場に遭遇したらどさくさに紛れて犯人殺しちゃうかも知れませんが。頭かち割ってその後倒壊した塀の下にでも運んで上にブロック塀の固まりいくつか並べとけば絶対に誰も殺人と思いませんから。こんな状況では。……言いすぎでしょうか、しかしそのくらい許せないという気概はあります。人の弱みにつけ込んで他者を傷つけ、そこから己の利だけを得ようとする行為は許せないのです。
自分は正義感は強くありません。どこにでもいるそのへんの人間です。
まあそのへんのことは語り出すときりがないので割愛します。



が、
はからずしも、
そこに悪意が無いにせよ、
結果として被害者が出てしまう問題があります。


宗教です。


人の心が弱まった時、その隙間にするっと入ってくるもの、
それは多様様々あるのですが、
自分が今回問題にしたいのは宗教なんです。


これはあくまで自分の姿勢なのですが、
相手が武器を持って我が身に不利をもたらそうとするなら、
自分は武器を持ってそれに立ち向かいます。
相手の武器よりさらに強い武器で。
ナイフや包丁を持ってやってくる強盗だったら自分は躊躇なく刀を抜きます。
刃の付いていない居合い刀ですが、見た目だけなら遜色はありません。
ホントにやるなら、
大東流合気柔術 - Wikipedia
試してみますか? と、申し上げたい。
抜かない刀が一番強いとは常日頃自分に言い聞かせてますが、
いざ抜いたら下がれないので、斬るしかない、と。斬ります。
合金製でも模造刀、当たれば痛いですよ?
突いたら普通に真剣同様刺さりますでしょうし。
(旧日本軍の銃剣も構造上は模造刀です。刃が付いてません)


コレはホントの武器同士の暴力騒ぎなら、という話でもあるのですが、
暴力ではなく、主義主張や信仰の手合いとなるとやっかいです。
特に信仰。
つまり宗教。


今この現状、
震災で人の心が弱まっている今、
新興宗教にとってはとびっきりのチャンスです。
「今こそ我らで救済を!」
「志を同じくする、『同志』を集めよう!」
「この世界に、救いを!」
例えで並ぶ言葉は枚挙に暇がないのですが、
新興宗教の人たちはそういった立ち位置でやって来ます。
ネットでよく言われる『信者』という言葉ですが、
それが正真正銘本物の位置でやって来ます。
自分達のやっていることは間違いないという、その目つきで。


結果はどうなるかというと、
それはよくある話のことで、
家財産全部盗られて丸裸になりました……。
火を見るよりも明らかです。


新興宗教にやられないためにも、
宗教はやっとけと!


ね?
相手がナイフや包丁で来たら、
それより強い『刀』を抜けばいいんです。
では、『刀』がどこにあるのか?
武道オタ・武具オタの神沢じゃあるまいし、
うちには刀なんぞありませんよ?


『刀』はどこにあるの?
そんなの、ずっと前からみなさんお持ちです。
お墓参りをした覚えはありませんか?
そのお墓はどこかのお寺にあるのではありませんか?
そのお寺はどんな宗派ですか?


至極簡単で、とても大切な話です。



あ、
ここまで書きましたが、仏教が前提です。
仏教徒ではない方はおそらくこのあたりのお話には強い。
日本人は大半が仏教徒ですから、
少数派、いわゆる信仰のマイノリティにある方はこのあたりの意識はかなり強いと思ってます。




早い話が、
自分が毎回申し上げている、


・自分は特定の宗教、宗派への勧誘をいたしません。


というのは、
ものすごく、
ものすごっく乱暴に言うと、
「あのさ、もうアンタどこかの宗派の人なんだよ。自分がどこの宗派の人なのかこの際きちんと調べてその宗派の教えとか信仰とか、自覚する必要があると思うよ」
ということなんです。


新興宗教に入信したいというのならそれはそれで止めません。
日本国憲法第3章第20条で信教の自由は保障されています。
日本国民の三大義務、日本国憲法第3章の載せられている教育の義務(26条2項)勤労の義務(27条1項)・納税の義務(30条)をまっとうする限り、信教の自由は認められていると自分は考えています。


自由を保障されている以上は、
ご自身の言動の全ては全責任、ご自身にあります。
新興宗教に騙されて何もかも盗られちゃったよー」
いえ、盗られたんじゃないんです。
あなたが信じたんです。
それだけのことです。


この場限りで出す例えは二つ。
共にアニメ作品なのですが、わかりやすい例えとして。



まずひとつめ。


化物語
ヒロインの一人、戦場ヶ原ひたぎ
彼女のお母さんは新興宗教にはまって家庭を壊してしまったのですが、
その原因はひたぎの病弱ゆえだったんですね。
ひたぎをどうにかしてあげたいがゆえにはまってしまった新興宗教なのですが、
結果としては新興宗教の幹部にひたぎの身体を差し出すはめに。
観ながら思ってたんですが、
このお母さん、法事とかおろそかにしてたんじゃないでしょうか。
宗教にやられる人は大抵宗教をおそろかにしてる人です。
ちゃんとやってれば少なくとも大切な娘をそのへんの男にやらせるようにはならなかったんじゃないかなと。



そしてふたつめ。


魔法少女まどか☆マギカ
中盤から出てくる魔法少女佐倉杏子
彼女が魔法少女になったのは教会を営む父の
「新しい世界には新しい信仰が必要だ」という持論から。
まずそこでアウト。
例えで言いますけど、山歩きと同じですよね。
見ず知らずの新しい山を歩くのには履き慣れた靴でないと。
信仰だって同じことです。


というわけでございまして。
重要なのは「自分自身を知る」ということでもあります。


『敵を知り己を知れば百戦危うからず』とは孫子の言葉ですが、
まず、
ことに宗教、信仰については、


自分自身が何者なのかを知る。
こういった作業が必要なのかなと思います





ん、


誠に申し訳ありませんが、
時間の問題もありまして、続きは明日へ。
新興宗教の入り方、『あなたが今不幸なのは……』」
このあたりから入ります。


今回初めての日をまたぐ続き物ですね。


うん。



(ここから記述3/19)


そんなわけで続きます。


続くのですが読み返してみると繰り返しを続けるだけになりそうなので収束の方向に持っていきますね。



新興宗教の入り口というのはおおむね定番でして、
困っている人に救いの手をさしのべるという方法です。
それがいわゆる、
「不幸な目に遭っている人に付け入る」という、このスタイル。
戦場ヶ原ひたぎの母親の例でもそうです。
「あなたの娘さんがいま大変な目に遭っているのは信仰が足らないからです」
ええ、
普段信仰をおろそかにしていると、
彼らはこういう時の心の隙間にするっと入ってきます。
ここで、
ここでね、
「信仰はちゃんとやってます。お彼岸にお盆に命日の墓参り、ちゃんとやってます」
ご自宅にある方ならば、
「毎日お仏壇にお線香と水をあげて供養しています」
こう言い返せれば、
新興宗教なんて入ってくる隙は本来できないはずなんです。
しかしながら残念ながら、
こういった活動、本来ご自身が持っているはずの宗教アイデンティティ
それを確立させて実践させていないと、
いざ他人からその隙をつかれた時に何も言い返せないコトとなるわけです。
しかもその隙をつかれた時はご自身になんらかの不幸が襲っているわけです。
そんなときに、


「あなたが今不幸なのは、ご先祖様の供養をきちんと行っていないからなんです」


そう言われたら、
愛娘のひたぎが入退院を繰り返して一向に快方に向かわず、
藁にもすがりたい心境の時にそう言われたら。


「このOOを買って拝めば、今までのご先祖様への不孝は無くなるでしょう」


まあたぶん、ころっといくでしょうね、と。
OOが額面にしていくらするのかはわかりません。
家族のためなら金額など問題ではないとも思ってしまうのかも知れません。
でも、
でもね?
ご先祖様だって、
言ってしまえば家族である子孫。
その子孫の困難の際に、
「我が身を手厚くしろ」と言いますでしょうか?
ひたぎの母親、
ひたぎの困難の際に「私にイイ思いをさせなさい」そう思うでしょうか?
思わないですよね。
だから我が身はどうでもよくなって、
新興宗教の世界に没頭してしまったのではないでしょうか。


結果として、
我が身より大切だったはずの娘の身体。
毒牙の前に差し出そうとまでする羽目に。


モノの考え方とその順番を取り違えています。
そこに付け入ることができるシステム
それを体系化して確立しているから宗教は怖いんです。
新興宗教もそうですが、既存の宗教もそういうところがあります)


自己啓発セミナーなんて本当にその入り口の最たるモノで。
「奇跡を見せる」
「神がかりを見せる」
コレ簡単にできるんですよ。


時事ネタ絡めますが、いま日本は計画停電中ですよね。
停電になるといろいろ不便です。
コンセントから電源を供給している電化製品は一切使えない。
頼りになるものは限られています。
心細くもなります。
その時に頼りになるモノとして、提示すれば簡単なんです。
停電→藁にもすがりたい困難な状況
頼りになるモノ→信仰
新興宗教が閉鎖空間(南の島だったり、どこかの建物だったり)に人を集めてセミナーをやるのは、人為的に困難な状況を作り出すためです。


収束に向かおう。戻ろう。



今回最初に申し上げました。


「今回のお彼岸でお墓参りに行ってください」


これ、前述の
「あなたが今不幸なのは、ご先祖様の供養をきちんと行っていないからなんです」
このツッコミに対応するためなんです。


このお墓参り。
コレが『刀』
強盗(新興宗教)が包丁やナイフ(その教え)持って来た時に反撃できる『刀』です。


「確かに今私は困難な状況かも知れません」(コレはその時言わなくてもいいかも)
「でも」
「ご先祖様の供養はきちんとやってます」
「お彼岸とお盆のお墓参りに命日の供養。年忌もきちんとやってます」
言えればね、
言えれば、
少なくとも、
その藁にもすがりたい困難な状況、
打破の方法は新興宗教入信ではないはずです。


収束させる収束させると言いつつ長引きましたが、
言いたいことはまず、
宗教にハマるコトだけではその窮地は脱出できない。
そして、
宗教は奇跡を起こしてくれない。
です。



今回の震災の例になぞらえてみますと、
被災地の方を救うのは宗教ではありません。
警察に消防、自衛隊
そしてたくさんのボランティアの方々の熱意。


今ここにある困難は生きてる人間である私たちがどうにかするしかないのです。


吉幾三の歌にありますが、
『数珠を握って空拝む』
確かに信仰は必要なモノです。


ですが、
信仰は窮地においては、
ご自身の心を落ち着かせるためだけ程度だと捉えてください。
(個人的には信仰は本来そういうモノだと考えています)



平素からの心の落ち着け方、
それは非常時に遭った時にも重要な心の支えどころとなります。
まずはできること。
普段からの心の支えどころの在り方として、



ご自身が本来持っている宗教。
それをきちんと認識し、理解し、実践することが、
非常時に遭った時の、
藁にもすがりたくなった時、
その時の心の拠り所として、
とても力強い味方になってくれるはずです。


できることは簡単なこと。
新たに見ず知らずの自己啓発セミナーなんかに参加する必要性はないんです。
ご自身の宗教をきちんと見つめることです。


見つめて、そして学び、理解し、実践すること。


手始めに実践できる一番手っ取り早いこと、
自分がお薦めできる一番手っ取り早く簡単なことが、
今回は仏教限定ではありますけれども、
春のお彼岸、
お墓参りです。


ご自身の宗派はどこですか?
そこにはなにがありますか?
まずは学び、知りましょう。


それをお伝えしたいのです。


できることの第一歩として、
「今回のお彼岸でお墓参りに行ってください」
繰り返し何度も申し上げます。






ここまで長々ありがとうございます。



読んでいただければご理解いただけたかも知れませんが、
自分は特定の宗教、宗派への勧誘を一切いたしません。
なぜならば、
コレも繰り返しですが、
もうみなさん、すでにどこかの宗教の、どこかの宗派の方のはずなんです。
それを知っていただきたいな、と。
そう思うのです。


うん。