お彼岸の日のこと


・自分は特定の宗教、宗派への勧誘をいたしません。
・宗教は生きている人間のためにあるモノです。
そんなわけで、本日はお彼岸に絡めて宗教のお話などを。神沢です。




「お墓参りに行けよー?」と、何度も申し上げるのはひとつに、
ご自身の宗教アイデンティティをご自覚下さいということが目的でして。
数日前のこの場がやたらに長かったことを反省してコンパクトに申し上げますと、
新興宗教なんぞに頼らなくてもみなさんもともと自前で宗教持ってるじゃありませんか。イイ機会だからこの際、実践してみませんか?」
そんな話でもあります。


これ、今この文章読んでるみなさんが平時だから言える話でして
(とはいえ今この国は充分に『有事』といえるレベルにはあります)
人が窮地に陥って心の平安を失った時、
そんな心の隙間にするっと入ってくるのが新興宗教でございます。
心の平穏を取り戻そうとしたばかりに新興宗教にはまっていまい、
気が付いたら我が身は心の平穏どころか、
家財産そして家族の絆も失ったでござるでは笑い話にもなりません。


お墓参りはね、インフルエンザの予防接種みたいなものと捉えていただければ。
常日頃からの対策と蓄え。
流言飛語に惑わされ右往左往する前に、
ご自身の確たる立ち位置を意識することが重要なのではないでしょうか。


その他にも宗教は得るところが多いと思いますので、
やっておいた方がイイと思います。
イイと思うと言うよりは、“better”と申し上げるよりは、
むしろ重要でやるべきコト、“must”なんじゃないかなと。


ちなみに英語学んで国際社会に出ますと宗教は必須です。
異文化コミュニケーションに於いては、宗教アイデンティティ
『その人が何者なのかを知る』
という重要な情報なんですね。
“あなたの宗教は?”
そのときに
“信仰は持ちません。無神論者です”
なんて、
日本国内では時と場合と場所によりかっこいい言い方に取られるセリフを吐きますと、
国際社会では、
“コイツ……精神の支柱が無ェ。モノゴト測る際のモノサシ持って無ェ”
と、解釈され、場合によってはテロリスト予備軍扱いされる可能性もあります。
アナーキスト無政府主義者)と同じ扱いなんですね。
今回の災害で役場も警察も消防も自衛隊も要らないって言ってるのと同じです。



そんなこんなもありまして、


今日はちょっと宗教のお話。
お彼岸のお話をしたいと思います。


その前に。
何度でも申し上げますが、
お墓参りには行ってください。


基本自分は実践してナンボです。
実践したことを書いてます。
やってみないとわからないことも多いので。


【お線香の火のつけ方】
今回この場がつまらないと感じた方はこの記事だけ読んでいってください。
たぶん、ご自身のネタとして使えます。


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お墓参りに行く時はお線香を持参すると思うのですが、
お線香は基本、箱入りでバラだったり結束されていたりします。


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お墓でのお線香。
結束されているお線香は、まずライターやマッチの炎では火が点きません。
今は春です。風もあります。
お寺によっては火を付けるための場所があつらえてあったりもしますが、
お墓の前で火を付けようとするとなかなかにむつかしいことです。


どうするか?
結束を解きます。


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火を点けるお線香の束は、
薄く広げて先端を揃えてください。
ライターの火は先端を右から左、左右に往復させてまんべんなく炎をあてるのがコツです。


火が点いたらお線香から炎が出るのですが、
コレは吐息で消さずに振って消してください。
理由は知りません。ごめんなさい。そういうマナーなんだそうで。


よくよく考えてみればあたりまえのことなのですが、
現地で現場でいざやるとなると、
こんな簡単なことに気付かなかったりするモノです。


当たり前すぎて自分は親からは教わらなかったです。
法事の際、伯母から教わりました。





さて戻りましてお彼岸の話。


お彼岸という行事は以前にもこの場でお話ししたんですが、
日本独自の仏教行事です。


その昔、
日本の仏教関係者のえらい人が、
「ねえねえ、最近仏教ってみんなの心から離れてなぁい? なんかここいらで一発イケてるイベントとかあればいいんだと思うんだけど、どう思う?」
と、時の帝(天皇陛下のご先祖様です)に、相談したところ、
「なら、昼と夜の時間が同じこの日ならいいんじゃね?」
と、
春分の日』『秋分の日』を起点(中日)とした一週間を、
「やっちゃうぜステキ仏教イベント!」
と、したのが始まりです。
(字面だけ追うと関係者の方に怒られそうな記述ですが、噛み砕いて要約するとこんな感じです)


なので、
お釈迦様がなにをどう言ったわけでもなく、
信者さん達が勝手に作ったイベントなんですね。
言うなれば同人誌即売会オンリーイベントみたいなモンでして。
東方Project』に対する『博零祭』みたいなモンです。


この、
お彼岸というモノにはやり方があります。


基本は昼と夜の時間が等しくなる『春分の日』『秋分の日』
この日はお彼岸の『中日』(ちゅうじつ)
この日がメインです。
(理由はあるんですが、割愛します)


この日は春の時も秋の時もそれぞれ、『ご先祖様に感謝する』日です。
今自分がここにいるのはご先祖様がいたからなので、
宗教信仰うんぬんをかっ飛ばしても感謝した方がイイですよね。
どんな人間でもお父さんとお母さんがいなければ産まれなかったワケですから。
そうしますとお父さんとお母さんを産んだおじいちゃんおばあちゃん、そして、そして……。そんな話です。


『お彼岸』の『中日』は、ご先祖様に感謝する日と理解ったとしても、
では、
なんで前後に三日間あるのでしょうか?


これはですね、
「みなさん修行しましょうねー」
ってコトなんだそうです。


仏教での修行はいろいろあるのですが、
その中でのひとつに『六波羅蜜』(ろくはらみつ)というお題目があるんですね。全部で六つの修行(実践徳目)なのですが、これを一日ひとつずつやりましょうと。


せっかく仏教でご先祖様に感謝する日です。お彼岸。
ついでにご自身の身も仏教で清めてみませんか?
そんな意味合いだと思います。


修行と一言にくくってしまうと、
座禅したりだとか、滝に打たれたりだとか、
なんだかつらそうなイメージばかりが先に浮かんでしまいますが、
実際にはそうでもないんですよ。
(あれも確かに間違いなく修行です)


歌舞というもの。
歌ったり舞ったり(踊ったり)というモノはもともと、宗教行事の意味合いもありました。
たとえばキリスト教徒さん達の賛美歌、
あれは歌うことが信仰ですよね。
おごそかに、かしこまってござるで歌うのもそれはそれで一種の様式美なのですが、
どうせ歌うなら、かしこまって正座して歌うのよりは、
膝を崩して楽に、
楽に、ここ重要です。
『楽』は『楽しく』
楽しく歌えることも重要なのではないかと。


自分なりの解釈なのですが、
カラオケに行って好きな歌を好きなだけ歌うというのも、
ある意味修行なのではないかと。
歌うことが好きな方なら、
歌うことによって心がすっきりすることもあるでしょう。
日頃積もり積もった、むにゃむにゃ、あれこれ、うんぬんかんぬん、
すっきりさせてしまうことも必要なのではないかと思います。
それは歌うことに限らず、ね。



実際、
今ではお彼岸といえばお墓参りが主要なイベントとはされていますが、
もともとは仏教というお題目を通した、
「はっちゃけちゃいなよ、YOU」
という、精神の解放をうたったイベントであるらしかったのです。


「……精神の解放? うわー、それすげえうさんくせえ。どっかの宗教じゃん?」


ええ、
どっかの宗教です。
っていうか、
あなたのすぐ傍にある、



仏教です。




うん。