講義録 【蝉丸Pの】ニコニコ仏教講座6・「空ってなんぞ」【一問一答】


本日は板書などを。神沢です。


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ニコニコ動画での般若心経のブームをうけて、
動画を作らざるを得なくなった蝉丸Pでございます。


さて今回は般若心経の主題である『空(くう)』について、
ざっくりやっていこうと思います。


般若心経の解説や現代語訳で、無であるとか、とらわれない心とか、ありのままに……なんてフレーズがよく使われておりますが、
そもそも、
『空とはなんぞや?』
という、
前提がすっぽ抜けておりますと、


「理解ったような、理解らんような……」と、なりまして。


わりと斜め上の理解に突き進んでしまう場合もあるので、
『空(くう)』という概念について説明していきたいと思います。


般若心経のネタ元である『般若教典』のグループでは、
『全ての物事は様々な原因や条件がなければ成り立たず、それ自身が他から何の作用も影響も受けずに独立して存在することは有り得ない』
と、説き、
『原因(因)と条件(縁)に依って生まれ起こる縁起が空』
と、呼ばれるモノであるとしています。


例えて申しますならば、
目の前にあるパソコンを分解していきますと、
CPU・マザボ・グラボ・メモリ・HDD・ケーブル……と、
個別のパーツの山となるワケでして、
もし、パソコンというモノに本質や他のモノに依存しない普遍的な実体があるなら、
知識のあるなしに関わらず、パーツの山を見て誰しもが、
『それはパソコンである』
と、認識しなければなりません。


しかし、
パソコンの本質や実体を探して細かく切り刻んでみても、
「おーい、ここには、だれもいないよ」
もとい、
そこにパソコンを見出すことはなく。


ここで、
『全体はそれを構成する部分に依存している』
と、され、
『パーツという条件に依って全体が生まれ起こる縁起の存在』
であると言うことになります。


レイヤーの重ねが美しいグラフィックを、
0と1からなるプログラムの集積が、
センシティブトゥーンやパーティクルエンジンとなり、
アイマス2を彩るが如く、
個別のモノの集積が大きな形を作り出しますが、
全て原因と条件に依存して存在しており、


何者にも依存せず、単体で成立するような、実体を欠いている状態を、
自立的な本性を持たない=無自性(むじしょう)と呼び、
『縁起するゆえに無自性』
『無自性であるがゆえに空』
であると申します。


要するに、この世の中の物事は、
物質的であれ、概念の存在であれ、
それを成立させる様々な原因や条件の集積体であり、
固定された永遠なる存在や、本質、実体と言うものはございませんよと。
諸法(しょほう)と呼ばれる、
全ての物事の在り方を空と見ることが、最初の一歩ではないかと


それが故に、怒りや、悲しみや、苦しみなどが実体を持った存在であり、
ずっと自分を責め苛むと勘違いするのではなく、
「泣いてる暇があったら問題の原因や条件の設定を変更するべく働きかけなさい」
故に、
とらわれるな、恐れるな、と言う話になって参ります。


空や無自性と言っても、
我々の目の前に生まれ起こる現象などは存在として「無い」ワケではなく、
全て仮に設定され集積した存在、
仮設(けせつ)されたものであるとされております。


ですから火に手を突っ込めば火傷もしますし、
車に轢かれれば大惨事にもなるワケですが、


仮設という観点から敷衍して考えますと、
物質的なモノであれ、概念的なモノであれ、
仮設された存在という意味に於いては全て等しく、
望み、欲し、原因と条件が揃えば、
それは仮設されたモノとして存在するワケですから、


物質的な存在ではなくとも
有り様は空であるけれども


皆さんの嫁は
仮設された存在として等しく在るのだと!


そういう事もございません


……とも、申し上げません


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般若心経についてすこしお話を。


般若心経 - Wikipedia


要はお経のZIPファイルです。
その数600を超えるお経、『般若教典』を漢字300字以内に圧縮した品が『般若心経』となります。
ですので、
解説が非常に困難な品でもあります。


考えてもみてください。
般若心経はお経の圧縮ファイル。
解凍したらその数600巻にわたる『般若教典』になるワケです。
ええ、
600巻に渡るお経を解説しろと言う方がそもそも無茶な話でありまして。
どうやって解説したらいいのか。


ですから、
その600巻に渡る長大なお経、
『般若教典』を簡単にしたモノが『般若心経』なのですね。


正直申し上げますと、非可逆圧縮なんですよ、『般若心経』
解凍できません。できないのです。


例えるのも失礼で申し訳ない気もしますが、
例えるのはこの場、『不肖・神沢正道 日々是好日』
この場の過去ログは700を超えていますが、
それを原稿用紙一枚、20×20マスの紙一枚にまとめたようなモノでして。
もう、まとめてる時点で無理繰り感を感じます。
それが般若心経なんですよ。


ですがやはり、
学べば知りたくなるのはモノの道理で人の心ということでして、
書店に赴けば般若心経の解説本は多様様々に商われています。


どの視点からどうやって解説されてるのかなあ、
ということが重要な話でして。


般若心経に関する書籍はいくらでも出ていますが
重要なことは簡単なことで、
般若心経に触れて、読んで、考えて、
その時点で、


ご自身の糧になる何かを見出せたら、


それが、
般若心経の読み方として、
正解なんだと思います。


お経はですね、
自分の立ち位置と学び方を確保してから入ると、
なかなかにおもしろいですよ。


今回はたまたま、自分の板書と言うことで。
御坊、アップしてすぐに降ろしちゃったんですよ。
理由は、
「不完全燃焼だったから」みたいなコトをおっしゃっていたような。


般若心経を読み解く時には、
少なくとも、
『空(くう)』の概念と、
『色(しき)』の概念への理解が必要な気がします。


空即是色
色即是空


っていう、アレですね。


「空(くう)とはこれすなわち色(しき)である」
「色(しき)とはこれすなわち空(くう)である」
じゃあ、
『色(しき)』ってなに?
『空(くう)』ってなに?



本日は


『空(くう)』ってなに?


般若心経の存在とは別のモノとして、


仏教における『空』って、
なんなのだろうね?
なんなのでしょう?



自分も学んでいる最中ではありますが、
この文章を読まれた誰かの何かのきっかけになれば幸いかなあ、と思っています。





うん。