語源を探して 〜ひとつの言葉にひとつの語源とは限らない〜

ここしばらくお勤めが続いていました。神沢です。
ようやく明日は休めそうです。




ただ今体中が軋みの音をあげているので本日はちょっとした言葉の話を。
役に立ちそうで立たなさそうな語源の話です。


感謝感激雨あられ』って言葉がありますよね。


これ、
元ネタが二つあるんですよ。
その元ネタはどちらも同じ言葉でして、


『乱射乱撃雨霰』


日本が戦争をしていた時の話です。


もともとのオリジナルはですね、
撃たれてるんですよ、日本。


日露戦争の時でして、
日本の軍事物資を載せていた輸送船がロシア艦隊に砲撃を受けて沈みました。
そのことを題材にした歌だったんです。


その輸送船は軍が民間から徴用した船でして。
徴用っていうのはその存在を丸ごと軍に召し抱えられるってコトですから、
乗組員から関係者から、ほとんどが軍人ではなく、民間の人だったんですね。
軍の命令に従って軍事物資を運んでいた、民間の船だったのです。


戦争中の軍事物資を載せた輸送船ですから、
敵国からしてみればこれはどうにかして沈めてしまいたい。
ロシア艦隊は、
いかに日本軍に徴用されたとはいえ、
言ってしまえばただの民間の船を攻撃して沈めます。


犠牲者は千人を超えました。
その様子を歌った琵琶歌『常陸丸』の一節にあるのです。
猛攻を受けて沈むその様相。
『乱射乱撃雨霰』
1904年6月14日のことでした。
琵琶歌『常陸丸』は当時大流行。





そこから派生しまして、
第二の元ネタが生まれます。


時を経て時代は日中戦争になりました。
当時日本軍は快進撃を続けます。
日中戦争の解釈の仕方はいろいろあるのですが、当時の報道にあったこととして)
快進撃を続ける日本軍。
その様相を伝えるために使われた新聞の見出しに使われた言葉は、
かつて日露戦争時に歌われた歌詞の一節でした。


『乱射乱撃雨霰』


前進前進また前進。
日本軍の放つ矢弾は当たらぬところを知らず、
日本軍の進撃の歩みは留まるところを知りませんでした。


日露戦争では撃たれる側だったのですが、
日中戦争では撃つ側になったのですね。
『乱射乱撃雨霰』
新聞の見出しとしてその言葉は当時の日本に歓喜を呼び起こしました。



こう例えるのは語弊が出そうなので気が進まないところもあるのですが、
勝ち負けだけでたとえて言うならば、
「あのとき負けた時に使われたフレーズが今、勝ちのフレーズに用いられている」
うーん、
『臥薪嘗胆』なんて言葉もありますし、
時に場は戦争ですから、
その戦争のために人々の暮らしが圧迫されていた部分もあったのかもと思います。
それで負けたら悔しさだけが残りますが、
勝ったのならば、
「あの日々の暮らしの圧迫(つらさ苦しさ)に耐えただけの価値があった!」
と、人々に思わせるに充分なフレーズです。
かつて大流行した琵琶歌『常陸丸』
あのときは私たちは悲しみと悔しさに包まれていました。
しかし今は勝ったんです!


どちらも言葉は同じひとつ。


『乱射乱撃雨霰』


飛んでいく矢弾
その彼我はどちらにあるのか。
簡単で決定的な違いがあります。



言葉ひとつ、
その語源をちょっと紐解いてみますと、
なかなかに興味深いモノです。



うん。