カレーはお好き?

徒然に。神沢です。



数日前に見かけたお話です。


男なら鉄道模型を捨てられた夫の気持ちが痛いほどよく分かるよな



いやあ、
嘘か誠かは判然とはしませんが、
読んでいていろいろ考えちゃいましたよね。


自分の結論を先に申し上げてしまえば、
「あなたの好きなダンナさんは鉄道模型が好きなダンナさんだったんですよ?」
と、奥さんに申し上げるところには落ち着きます。
どんな人間でもよく見えるところわるく見えるところはあるモノですから、
その人のことがよほど好きでも、
その人の中のいくらかの部分、そこにわるく見える要素があっても、
それはそれで、その要素を含めてその人なのではないのかな、と思うのです。


借り物言葉で申し訳ないのですが、
かつて村上春樹が著書で『福神漬けの懐疑』とかいう例えで書いていたモノを思い出して。


カレーライス。


カレーライスの構成要素って、おおむねカレールーとごはんですよね。
で、そのお皿に少しばかり福神漬けが載ってます。
ウチはらっきょうですとか、本来はピクルスですとか、まあそういう方はそれに置き換えてください。
ウチはごはんじゃなくてナンなんですとか、
何なんですその人の話の腰の折り方。韻を踏んだセルフボケツッコミはいいとして続けます。


『カレーライスは好きなのだけれど』
『その中にほんの少しだけ、認めたくない嫌いな要素がある』
『それは福神漬けだ』


ですけれども
ですけれども


そのお皿には、
ご飯が盛られていて、
カレールーがかけられていて、
そのうえで、
福神漬けが添えられてあって、
そしてカレーライスになるわけです。


人間関係ってだいたいこういうところがあるのではないかと思ってます。


人間の個性って十人十色ですから、
よく見える部分もあれば、
わるく見える部分もあるのではないかと。


わるく見える部分ばかりが多い方とは仲良くはならないですよね。
よく見える部分が多い方と仲良くなりますよね。


ですが人間関係、
歳月を積んでつきあいも長くなりますと、
この『福神漬け』に相応する
「あ、この人のこういうところ、ヤダ」
というところが見えてくるかと思います。


そこで自分が思う大事なところはですね、
『その福神漬けはあなたにとってどのくらいの大きさなのですか?』
というところです。



「あ、この人のこういうところ、ヤダ」
その『福神漬け』部分ばかり見ていますと、
そればかりが気になり始め、
本来のそのお皿、
カレーライスであったはずなのに、
いつの間にか、
福神漬けライス』
福神漬けカレー』
福神漬け、の、脇に、カレーみたいなモノが見える』
気になりだしたあげくの結果は、
『お皿にはただの山盛り福神漬け』
こうなってきてしまいまして、


本来のカレーライスが目に映らなくなってきてしまうことがあるかもしれません。
福神漬けが気になりだして大好きなカレーが食べられないだなんて、
そんなの本末転倒ですよね。


んー、
ですが、
そこで、
嫌いな『福神漬け』を好きになりなさいとか、
無理矢理にでも食べなさいとは申し上げづらいところです。





思うんですよ。


どんな人間だっていいところわるいところはある。
わるいところばかりが見えてくる人とは仲良くならないじゃないですか。
いいところがたくさん見えてくるから仲良くなったんじゃないですか。


カレーライスに載ってる福神漬けの割合くらいには、
好きな人の中にイヤな部分はあるものなんじゃないのかな。


自分自身にだって、誰かにとっての『福神漬け』はあるモノだろうし。



それも個性。



人間って面白いですね。



うん。