そのたましいにやさしさを

20090809154500
お盆も近いということで、出しました。盆棚。精霊棚ともいうそうです。
こういった品は地域や宗派などによって違いがあるものですからどれが正解というものはなく、むしろさまざま違いのある全部が正解とも言えます。今日の日記は上記写真の背景近く。この笹についてのお話です。


この笹が何のためにあるのかと申しますと、まあ詳しくは検索でもしていただいた方がよかろうとは思いますが検索などあらたまってする必要もないと感じられる方のために簡単にご案内を。


お客様のご休憩所です。


ん? なんのこと?
ええとですね、前述したとおり地域や宗派によって解釈などは微妙に違うと思います。この笹がない場合もあるかも知れませんのでそのあたりはご容赦を。
お盆はあの世からご先祖様の魂が戻られ、私たちこの世のものが供養をする機会の場です。
ご先祖様が戻られる際に、ご先祖様以外の魂が一緒について来てしまうのですね。この世に戻ってくるあてのない魂、いわゆる餓鬼なのですが、この魂を放っておくとご先祖様にお供えしたものを横から奪ってしまうのだそうです。
あの世というものは餓鬼にとって非常に辛く、飲み物や食べ物が手に入らず苦しんでいます。現世での悪行の報い、つまり自業自得といえばそれまでになってしまいますが、それでもこの世の私たちにとってはご先祖様のためにお供えしたものを横取りされてしまってはあまり嬉しい話ではありません。
「うちのご先祖様についてこないでください」言えるものなら言いたい気持ちもあるのですが、結果としてついてきてしまうのは避けられないのだそうで、そしてそのままにしておくとお供えものを横取りしてしまうのだそうで、結局立てられる対策というのは、


餓鬼に布施をして供養する


ということになります。餓鬼はお供え物を横取りするという行為の割には非常に臆病でして、盆棚の中には入れないのだそうです。そのため餓鬼の居場所として笹の葉で物陰をこしらえてあげるわけです。それが上記写真に見る盆棚の笹です。……簡単にご案内といってもここまで尺が必要なのですねやはり。


餓鬼への供養は「施餓鬼(せがき)」としてお寺などで法会が催される場合もありますが、神沢家のように個人宅で供養を行う場合もあります。


実際にどういうことをするのかというと、あくまで神沢家の場合ですが、まずご先祖様に飲み物を欠かさず、朝昼晩の三食と午後のお茶菓子を出します。生前と同じサイクルで飲食をしていただくわけですね。うちの場合一番最近鬼籍に入ったのが祖父母でして、料理のメニューや味付けなど祖父母の好物を優先します。お盆期間中はこの世の私たちより優先します。まあそうして同じものをいただくことで故人の供養とする意味合いもあります。祖父のビール「一番搾り」を調達するのは毎年自分の担当です。本人は「金麦」


で、このとき餓鬼にも同じ品を出して供養します。ご先祖様の分は盆棚に上げますが、餓鬼に対してはそっと目立たぬよう盆棚の隣に供えます。畳にお盆で直置きします。

んーと、このまま餓鬼と称するとちょっと意味合いがぶれそうなので代えます。帰る拠り所のない魂、無縁仏。


無縁仏の帰る拠り所がないということでは自業自得の面もありますが、戦争や災害の例を考えるに好きこのんで無縁仏になった魂ばかりでもないと思うので、その辺は供養を施すことのできるこの世の人間がもてる故人へのやさしさというか、いたわり慈しみというか、ご先祖様に供えるついでにちょっと横に供えてあげてもいいじゃないですかと思うのです。


うん、
宗教というものはあの世の方達を供養する意味合いでも大切なものだと思うのですが、存在の第一義には今この世を生きる我々が日々の暮らしをどのように大切にしていくかがあるのではないかと思います。


行き場のない魂が拠り所を求めて我が家にやってきたとして、盆棚の物陰から我が家のご先祖様が丁重に供養されているのを泣きじゃくりながら眺めているのだとしたら、

線香一本、水一杯。
たいしたことはしなくても、この世を生き、あの世の魂を供養できる私たち。そのくらいはしてあげてもいいのではないかな、と思います。


今年のお盆、どこかの機会でともす線香を一本だけ増やしてあげてください。


この世を暮らすわたしたち
あの世を暮らすあのひとたち


そのたましいにやさしさを。


よろしくおねがします。
うん。