吾唯足知。だいじなことです。

↑↑↑知足の蹲踞(つくばい)より。
龍安寺−Wikipedia



久方に書店へ赴きコミックスの棚などを眺めつつ、あれもよさそうこれもよさそうへえこんな品も出てるんですかなんて手に取ったりして、気付いたら両手いっぱい夢いっぱい、諭吉一枚さようなら。 神沢です。



お夕飯から帰ってきた本日は眠くて写真のアップロードが辛いのでやんどころなき事情により趣旨を変えて本棚のお話を。



やはり自分も好きですから蒐集する性質の持ち主です。コミックス。


しかしながら古人に学ぶところの「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉もありまして、何事も適量をわきまえ我が身の分相応を知るべくが人間立ち居振る舞いとしてあるべき姿なのではないかなあと思うのです。



と、いうわけで自分の蔵書の量は上限を決めてあります。


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幅60センチで4段の書架が二つ。
もう、ここに収まるだけにしようと。


このコミックス蔵書量が多いのか少ないのかは見た人それぞれがそれぞれに感じるところなのだと思いますが、自分の周囲身内仲間うちでは自分が一番少ないです、蔵書量。




かつてはこの倍以上の量があり、当然収まりきらないものですから当時の賃貸ワンルームは部屋中に並べて積んである状態でした。


それでも人間、欲というものはつきないものでして、
「もっと、もっと」
「まだまだ、まだまだ」
と、休日のたびに書店へ赴き、苦しみながらもその煩悩に悩まされる自分に悦びを感じていたのも事実。蔵書を増やし続けていきました。


結果としてですね、
当時はお勤めが転勤族であったこともありまして、
季節が一巡りするかしないかで転居を重ねていた自分には


もうどうにもならなくなって来ていました。


転居のたびにその都度量を考えて「譲渡」「売却」「廃棄」となっていったのですが、そんな行為を重ねていくうちに、


「もういいかげん解脱してもいいんじゃないだろうか自分」


という考えに至り、
管理、所蔵する量を決めて今に至るのです。


どのくらいが自分にとって適正なのかというのは判断のむつかしいところだったのですが、古人の「足を知る」の言葉を参考として引かせていただき、「この書架、あともう一つあったらいいんだけどなあ……」との思いから


「ふたつでじゅうぶんです」
と、しました。


たぶんですね、
書架をもう一つ増やしたら自分きっと、
「あともう一つあれば……」
と、また終わることのない堂々巡りになることは間違いがないんです。


正直、
本心としてはもうちょっと蔵書してもいいんじゃないかなあと思うのですが、
「気持ちちょっと少なめに感じるくらいで現状維持」
の方が、自身の気の持ち方に余白を持たせることができるとも思いますので、
ま、このくらいが自分には妥当なのかなと。
そう思うのです。



……。
今回の失敗、
数日前に書架の整理をしたことです。
十冊くらい減らして(写真は減らしたあとです)
種類ごとや頻度ごとに並び替えたのですが、
「次に減らすとしたら……こことか……このあたりで……そうするとおおむねこのくらい空くから……」


それを憶えてました。



http://www.nicovideo.jp/watch/sm6390012


蝉丸Pこと仁鐵住職の説法が身に沁みます。
そんな、『定期的に嫁が変わるよ派』神沢です。


うん。