『苦』


本日はまめコラムなどを。神沢です。


仏教での『苦』という言葉について少しばかりお話しさせてください。


宗派や季節の行事に関わる専門用語はそのうちにというか、
それより前に、共通部分である言葉の説明になりますね。「苦」


基本として仏教は
「世の中、なかなか思い通りにはならないなあ」
という考え方をします。


その、
「世の中、なかなか思い通りにはならないなあ」
に対して、
「じゃあどうやったら、『なかなか思い通りにはならないなあ』と、悩まずに日々を送っていけるんだろうね」
と、探っていくのが、本来の仏教の姿でもあります。


この、

『なかなか思い通りにはならないなあ』と、思うこと、感じることが、
『苦』なんですね。



……ほらソコ! 寝ない!
まだ始まったばかりですよ?



簡単に思いつく例としては、
「おカネが欲しいけれど、あてがありません」
「女子の人にモテたいのだけれど、モテません」
こういう極端な例もありますが、
こういう極端な例もありますが、
極端すぎるから、
例が極端すぎるから、
その例を出された人も、
「お金は欲しいけれど、そんな、宗教を考えるまで苦しんでいるわけでも……」
「女子の人にはモテたいけれど、嫁のあてなら二次元で……」
こう考える方もあります。
なので私にはそれはあてはまりません、という方も。


もっとぐっと身近なものとしては、
もう単純な話、
誰でも元気で健康でありたいですよね。
誰でも元気で健康でありたい。
けれど、
人はケガや病気に遭ったりします。
特に今は花粉の飛び交う季節ですから、
ずるずる鼻をすすって、「あ゛ー」と、なっている方もいるかと思います。


健康でいたい、
元気でいたい、
でも花粉が飛び交っていて、
「あ゛ー」
もー、毎年毎年なんなのこれ、いやんなっちゃう、ティッシュどこ? かみすぎて鼻の穴と穴の間がひりひりしてて痛いんですけど、ちーん、「あ゛ー」


この、
「花粉症になんかなりたくなかったのに、なっちゃって、ああ、やだなあ」
その、
「ああ、やだなあ」
この部分が、仏教でいう『苦』です。


・お金が欲しいけど、ない。
・女子の人にもてたいけれど、見向きもされない。
・花粉症になりたくなんてなかったけれど、なった。
・おなかがぺこきゅーなのに、お昼休みまでまだ時間がある。
・友達に温泉旅行へ誘われたけれど、休日が合わない。
一番くじひいたら、また同じ品だった。
最終的には、
・死にたくないけれど、死んでしまう。


例えは枚挙に暇がありませんが、
基本的には、
根元的には、


「OOしたいけれど、(OOでありたいけれど) そうはいかない」
これが仏教での『苦』です。


うん、
人が生きててですね、
この、
「世の中、なかなか思い通りにはならないなあ」
これが一つや二つだけなら、
ちょっとやそっとの我慢や辛抱でどうにかなりそうなモノなのですが、
実際問題生きていますと、
日々を暮らしておりますと、
大なり小なり、
絶えず、人の生きる道、人生はこの『苦』がいつも自分の目の前にあるモノでして。
「どうにかなんねぇかなぁ、コレ」
そんなモノが、
大きなモノから小さなモノまで、
目の前にはたくさんありますよね。


この、
「アレもコレもなかなか思い通りにはなりませんねぇ」
これを仏教では、
一切皆苦(いっさいかいく)と、いいます。


……うわー、
なんだか字面見てたら泣けてきそうです。
なにをどれだけがんばっても、生きてて世の中は『一切皆苦
言い換えれば、
世の中何もかも思い通りにはならないってことじゃないですか。
希望はなしですか?
差し込む光の一筋もナシなのですか?



現状の認識、
現状を認識。


一切皆苦
つまり、
「アレもコレもなかなか思い通りにはなりませんねぇ」
それは誰にでも言えることで、
言い換えれば、
世の中のみんな、だれもかれも、なにかに『苦』があるってことです。


『苦』とは、
「OOしたいけれど、(OOでありたいけれど) そうはいかない」
でして、


人は生きて日々を送っていれば必ずどこかで
「思うようにはならねぇな」って苦しみに遭っているワケです。
ああ、大きいモノもあれば小さいモノもありますよ?
そして人ひとりが抱える『苦』は、ひとつだけとは限りません。
一切皆苦』 ですからね。


発想の転換
自分だけじゃない。みんななにか苦しみを抱えている。
時にそれは大きいモノではないのかも知れません。
他人からしてみたら、大したコトではないのかも知れません。
逆に、
あの人が抱えている問題って、すごいでかいんじゃなかろうか、本人けろっとしてるけど……。
そんなコトもあるかも知れません。


仏教における『苦』というモノ。
それは、
「この世の中、生きていて暮らしていて、いろいろと、思うようには、願うようには、……ならないですねえ」
これが『苦』の本質です。


みんな、
みーんな、
どこかでね、
「思うようにはならないなあ」
って、日々おもっていたりはするのです。


でも、
そこでがんばらないと。


あきらめちゃうことはかんたんなのだけれど、
がんばることはあきらめることよりはるかにたいへんなのだけれど、


あきらめるそのまえに、
まだがんばれるところがきっとあるはず。



そう思うのです。



うん。