迎え盆の日のこと。

二期ハルヒの作画について思うこと。 「……けいお(自主規制)」神沢です。


暑いー。自室は北、東、南の三方向にある窓を全方向開けても無風です。いつもの夜風が入って来ません。……今夜の群馬県館林市はおそらく熱帯夜ですねえ。





本日8月13日は迎え盆ということで、お勤めだった自分はお迎えに赴くことはできなかったのですが、帰宅したら既にお帰りでした、ご先祖様。

帰り際はスーパー『とりせん』にて祖父母が生前好んでいたお菓子や飲み物などを調達。塩羊羹、チョコパイ、シルベーヌ、オロナミンC、三ツ矢サイダー。そんなこんなを灯す線香鳴らす鈴(りん)、お帰りなさいの言葉と共に。


あ、線香。これは地域や宗派によって違うと思うのですが、自分は4本たてます。
まず『代々のご先祖様』に一本、香炉の奥。
『祖父』『祖母』にそれぞれ一本、香炉の中心に並べて。
そして先日の日記に書いた『お客様』に一本。香炉の隅。
ぜひやってみてくださいとは言えることではありませんが、自分の場合はこのようにします。


盆棚を目の前にしていろいろお話ししたりご報告したりするべきことがあるような気もしますが、ご先祖様のことですから自分の普段の行状などは既にご存じでしょう。改めてなにか言う言葉もないと思うので瞑目して手を合わせ何も考えずじっと祈ります、鳴らした鈴の音が落ち着くまで。


音が落ち着いたので目を開いて改めて盆棚の様子を眺めてみたり。今回写真は撮ってません。前回日記の時はお戻りになる前のいわゆる『空き家状態』だったので自己判断で「撮ってもいいかなあ」と。ご先祖様とて久方に帰ってきてゆっくりしているのにぱちりとやられたら落ち着かないと思います。自分ならそうです。だから撮りません。


お供えは今夜の夕餉に果物、菓子のいくらか、生け花。『お客様』の分もそこに。神沢家流です。菓子が少しさみしい気もしましたがあつらえた神沢母のことですから「正道がなにか買ってくるだろ」程度に思ってのことかも知れません。もしくは「ご飯とお菓子は別でしょう」と明日怒られるか。まあとにかく盆棚の傍に置いておきます。正しい供え方は聞いてなかったのでこうしておけばおそらく明日神沢母の手によってきちんと供えられることになるでしょう。
で、思うんです。



いくらお供えしたって、
もう死んじゃってるんだから飲み食いできるわけがないでしょう。



自分が買ってきた菓子だってこの後どうなるかはわかってます。数日後には盆棚から下がって神沢家のお茶菓子行きです。実際に食べるのはご先祖様でも仏様でもなく、生きてこの世にいる人間です。今日の夕餉は素麺でしたが明日の朝には傷んでます。生ゴミ、ゆるぎなく。
そもそも『お盆という時節には死んだ人間がこの世に帰って来る』という話自体が疑わしいです。『猿の手』じゃあるまいし、死んだ人間が帰ってくるなんてどう考えてもあり得ないと思うのです。実際問題自分自身、亡くなった祖父母を自宅で見たり声を聞いたりなんて経験はありませんし、夢枕にさえも立ったこともありません。帰って来るだなんてどうして信じられようかという話です。


それでもこの時期自分は毎年祖父のビールと祖母のお茶、記憶に残る祖父母の好物は欠かしません。盆棚に向かい線香を立て鈴を鳴らし手を合わせて祈ります。


うん、
前の日記にも書きましたが、宗教というのは今を生き、この世を生きる私たちのためにあるものだと考えています。

ご先祖様を大切にする? 当たり前のことです。ご先祖様のうち一人でもいなかったら今の自分はこの世にいないですよ、生まれてません。今自分がここにこうして在れるのはすべてそこにご先祖様がいたからです。父がいて母がいておじいちゃんがいておばあちゃんがいてそれからそれから……限りないほどの偶然と必然が結い合わされて今の自分はここにこうして在れるのです。ご先祖様を大切にするなんてあたりまえじゃないですか。お盆だからとか帰ってくるとか帰ってこないとか、霊がいるとかいないとか、そんな話をする以前に大切なことじゃないですか。

お盆ってね、そういう大切なことをきちんと考えるための期間なんだと思います。



朝。鳴る目覚まし、眠い。二度寝したい。
「朝だよ、起きなさい」祖父の声。
眠いー。緩慢な肉体、重いまぶた。
「顔を洗って食卓に着きなさい」祖母の声。
仕事着に着替えて玄関の鍵を締めて車のエンジンかけて。仕事かったるいなー。
「たくさんの人がお前を待っているんだよ」祖父の声。
「がんばるんだよ」祖母の声。

目を開いてハンドルを握りギアを入れてアクセルを踏み「いってきます!」

「いってらっしゃい」祖父母の声。
その言葉はもう耳に届くことはないのだけれど、気付けばその言葉は毎日心に届いています。


ただただ求めて、ただただ与えられた愛情。幼かったあの頃の自分は乾土に水が染むごとくそれを享受してきました。そして健やかにすくすくと育ち……ちょっと趣味に一抹の疑問は残るものの……大人になりました。
こんどはその恩返しをしないと。もとめるひとからあたえるひとへと。


川の流れは上から下へと往来するものです。
愛された記憶を愛する記憶へとうつしかえ、そして微笑む日々がやがて迎えられるのならば割と自分の人生は上出来なんじゃないのかなと、そうあれたら。


線香を立て鈴を鳴らし手を合わせる自分の目の前を走る走馬燈
もしこの場がいつか自分にあてがわれる時が来たら、そのときにかつて微笑まれた分だけを微笑むことができたのならば、欲を言えばもう少しそのほほえみの量が足せたのなら、その時は今一度甘えてもいいかなあ……今一度あのときの幼いチビッコな自分に戻って。やったよ、できたよ。おじいちゃん。おばあちゃん。

その日まではもうちょっと、あせかきべそかきがんばろうと思うのです。
叶えてみせる。
うん。