とある休日の動画紹介  『朝起きたら男の子になっていた。』


数珠を片手のえろげーまー、神沢です。


基本この場は「えろげー系テキストサイト、その管理人の日記の場」として、根底はその話題に18禁PCゲームを取り扱ってます。他には仏教の考え方を通しての随筆であったり家庭菜園や軍事、銃器。自分の趣味の話など。なのでお越しになった方のいくらかは自分の文章に愉快ならざる心持ちを抱かれるやもしれませんが、そのあたりは分別ある大人のための記事としてご了承下さい。では、よろしくお願いします。



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最近キャストパズルなんて品に執心の身でして、
暇をみつけては掌のうえでかちゃかちゃとやっとります。
これが簡単そうに見えるわりに、そう楽には解けないものなんですね。


「こうかな? こうかな?」そう考えて同じ動作を続けても先に進むわけではなく、また、力ずくを通せば歪み傷つき二度と元には戻りません。


まあ傷つく壊れるがパズルだったらいくらでも替えはきくんでしょうけれど、
これが人の心というモノになってきますと
解法はひとつではなく、またそのかたちは常に移ろいゆくものですから、
古来より人を魅了し、そして悩ませるんだなあと感慨にふけったりです。



そんなわけで本日は動画紹介の日のことです。



http://www.nicovideo.jp/watch/sm10678462


自分の動画紹介というのは、第一にはこの場にお越しになった方に
「面白い動画を見つけましたので、おひとついかがでしょうか」
というところなのですが、それに伴って副次的要素がいくらか。


全部書き並べるのも冗長になってしまいますので今回伝えたいこととしてあげさせていただくのは『振り込めない詐欺』対策です。


動画を制作される方はそれなりに時間を掛けて手間ひま掛けて、
そして一番大切なことなんですが、愛情込めて創り上げるわけです。


それに対して私たち視聴者は「マウス握ってポインタ合わせてクリックするだけ」で制作された方の努力や熱意、そして作品に込めた愛情を享受できるわけですからこれは何ともお買い得な話です。
というかお買い得以前に何も払わずに受け取っているわけですね。



制作される方に還元されるのは「再生数」「コメ数」「マイリス数」こんな数字の話でして(コメに関してはちょっと違って来ますが)
動画の種類には「誰得」というタグが付けられるものもあり、投稿された方の、投稿した行為そのものがご本人にとって一番の還元だったりもしますが、


縁があってクリックし、そして楽しませていただくわけです。



自分だけ楽しんで(利を得て)
それでおしまいというのも自分にとっては気の引けることなんですね。


自分だけが得をすればいい、自分にだけ利があればいいという心の動きを仏教の言葉で
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「我利我利」といいますが、


叶うことなら、縁があってのクリックです。


誰しも自分がかわいいのは当然のこと。
視聴者である自分もそうですし、投稿した方も、そして今この文書を読んでいる方も、みんな自分がかわいいのです。


ですので、我が身が良ければそれでいいという「我利我利」の考えからちょっと離れてですね、
自分にも利があり、他の方にも利がある、
海兵隊のマラソンソングでいうところの「おれによし おまえによし みんなによし」という、仏教の言葉で「自利利他」という心の動きなのですが、そちらに推移しても良かろうと思うのです。


実際に何をするかといえばそれほど大仰なことでもなく、
「GJ」なり「楽しかったです」なりコメを入れれば、
制作された方も「よし、じゃあ次も頑張ろう」と励みになるのではないでしょうか。


で、自分の場合なんですが、
ニコニコ動画の視聴においては投コメもマイリスもしておりません。
ですが今こここんな場で毎日文章を連ねていたりもします。
「GJ」と、投コメする代わりに、
「自分の感じた魅力はどのあたりにあったのか」
「どう面白かったのか」
「なにを感じ、考えたのか」
そのあたりをですね、
自分なりの言葉で書き連ねさせていただくことで、
「振り込めない」分、
紹介文にかえさせていただくばかりです。



まあ、つまるところ
「これおもしろいよ、みんなも観ようよ」
ってだけなのですが、


「おもしろい」というのは個人の主観によるものですから、
ただ単に「おもしろいよ」と言うだけではその内容は伝わりづらいわけです。
自分のことをよく知っている身内仲間うちなら
「神沢がおもしれえつってんだからおもしれぇんだろうよ」
通じるかも知れませんが、


ここはmixiでもなく一般サイトで、アップしちゃえば自動的に『みてれぅ』や『はてなキーワード』あたりにリンクが掛かります。
ともなれば該当動画に興味のある方がどんなことが書かれているのか見に来られたりもするわけで、
「おもしろいって言いたいのはわかったけれど、じゃあどんな風におもしろいの?」



それをお話しさせていただくわけですね、
作者の方に「GJ」と伝える代わりに。








あー、長くなりました。
そんなわけでおまちどおさまです。
「朝起きたら男の子になっていた。5−9」
紹介文です。


うん、
SotteBosseですか?
いきなりそこですか……。


5話もいよいよ佳境ですね。



『愛という字は「まごころ」で 恋という字は「したごころ」』
なんてセリフがありますが、
まあその言葉の意味をしみじみ考えさせてくれる千早さんです。



解釈の仕方はいろいろあるんだと思いますが、
愛というのは与えるもので、
恋というのは求めるものなんじゃないかなあと思います。


とはいえ与えることがイコールで愛だとも限らず、
もう相手が要らないと言ってるのに関わらず与えるような、
そんな「止められないわんこそば」みたいなのも
受け取ることを求めている時点で恋ですよね。


春香が「食べる人」で、
千早が「盛る人」


もともと春香はずっと前から「たべたかった」し、いまでも心の中では「たべたい」という気持ちを持っています。


ですが「きっとたべられない」だろうから、
同じ境遇にいる真との共存で代用とした。
パンがなければケーキを食べればいいじゃない。
この場合はそばがないから……なんでしょうね、そばの代わりになる何か(=真)


そばの代わりになる何か(=真)で代用としていたのですが、
春香が気付いていないだけで、千早にはその膳の用意はあったわけです。
真もその真相を知り、じゃあ自分は春香から身を引こうと。
……このあたりが愛でしょうか。
自ら絆創膏の剥がし時を判断しました。


そしてその現場に春香が登場。
時系列としては一見自然な流れなんですが、
いかんせん、



お膳立てができていない。



春香の持つ椀の中にはまだ代用食(真)が入ってるんです。
(代用代用と繰り返すうちに真がかわいそうに思えてきましたが考えてみれば真の持つ椀の中にも……という話でもあり)


いきなり千早から「ずっとたべたかった」それが飛んできて、
え?
なに?
とりあえず椀を手でふさぎ、


べしゃ。


椀には入らず、手の上にのる、春香が「ほんとうにたべたかった」それ。
もういらないんだもん。
私のお椀の中には別のもの(=真)がはいってるんだもん。


……こっち(=真)のほうがもっとおいしいんだもん!!


……。
代用品では満たされないコトくらい春香とて重々承知のはずなのですが、
だからといっていきなり「さあ、食え!」では春香ならずとも拒みに至るのは致し方なく。


「たべたかった」ものが「たべられない」のであれば……。


『かえってきたらえっちしようね』


自分で言った言葉。


あきらめる?
あきらめられる?




“5−10につづく”



あああああ。
もやもやしますー!




と、いうわけで、
読み返してみたら紹介文になってるんですかコレ、
いやむしろ感想文でしょう、
というあんばいになってますが


つまるところ、


「これおもしろいよ、みんなも観ようよ」



そういうことです。
うん。





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【追記】
このシリーズの紹介はいろいろな方がご覧になっているそうで。
存じ上げております。


次回作、楽しみにしております。


えろげー系テキストサイト “電動ドリルドライバー”
管理人 不肖・神沢正道 拝






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【追記・2】
5話の春香を見ていて連想する曲について。
以前この場にて書かせていただいたのですが、
引用動画は期間限定公開だったので今では閲覧できません。申し訳ありません。


見かねたあずさが年長者としてフォローしてくれるらしいです。




ありがとうございます。
見つかるといいですね、運命の人。




……あずささん?
あんがいそばにいるかも知れませんよ?



うん。