ラブレター

数日前この場で「好きだ!」とお伝えしたら
「大好きですよ!」
と返ってきました。


わーい、そうしそうあいだー。


……すいません心臓ばっくばっく言ってます。神沢です。




うん、
「好き」ってものすごい力だと思うんです。
伝えるのに力が必要ってところもあるだろうし、
受け取った側にも大きな力が伝わるんじゃないかなと。


それって恋愛に限ったことじゃないですよね。


ちっちゃなお孫さんの「おじいちゃん、おばあちゃん、だーいすき」
お勤め先で残業しつつ「俺、先輩と仕事すんの好きですから」
友人の失態を笑い飛ばして「いやー、おまえのそういうところ、好きだ」



老若男女誰にでもある好きのかたち。
好きのかたちは無限大だと思うんですよね。



ですが、


これが恋愛での話となると、
その行き交いというのがなかなかに簡単にはいかないもので。


この人に届けたいだの届かないだの、
あの人から貰いたいだの、横取りしたいだの、
多い、少ない、壊れた、遊びだったの?


んまー、もー、


やっかいなことこの上ないわけでして。


好きだからしたいのか、
したいから好きなのか、
なんてのも。


たかが股間の村正一本の話といえばそこまでなんですが、
さりとて恋愛を刺激するのは人間の本能、性欲からでして、
これを否定した日には生き物の進化の樹形図そのものを否定するのと同じことです。


おおいにハァハァ、おおいによろしい!
……何事にも程度ってもんがありますが。


「男と女ってのは普段隠している自分の一番弱いところをこすり合わせていくもんなんだ」
高橋しんの『最終兵器彼女』の一節。けだし名言かと。


好きの行き交いがあるべき相手にあるべきかたちでできるかどうかが一番大切なことなんじゃないかと思います。


しかしながらそれは誰かがわかることではないというのがやっかいなんですね。


あの人? この人? どんな人?
おっきく? ちっちゃく? こっそり? どうどう?


それは
だれにも
わからない


だからこそきっと、
古今東西恋愛を主題に用いた作品群は観客を惹かせて止まないのでしょう。



人間っておもしろいですね。



うん。










あー、えっと、
今日の冒頭は、
こちらとあちらのブログでのやりとりなんです。
お互いが自分自身のブログにお手紙するという会話なのですが、


送らせていただいた言葉をあらためさせていただきます。


最初はね、


「(あなたがつくった物語が)好きだ!」


と、伝えたんですけど、
あたらめてもう一度。



「物語るあなたが好きです」




万が一読まれていたら返信不要ですよ。
うん。