馳せる思いは書に載せて


最近自分の記述が蝉丸P口調になりつつある自覚があります。神沢です。



そんなわけで。
昨晩から今日のお昼くらいまで、


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太平洋の奇跡 −フォックスと呼ばれた男− 大石直紀 小学館 小学館文庫


ちょっとサイパンの方へ行ってまいりました。
……馳せる思いだけは、というところですが。



え、昨日と本が違う。
そうですね。
昨日の本は原作本です。
今日のこちらは映画のノベライズ版。


原作が小説なのに、劇場映画化されたそれをさらに小説化。
なんだかちょっとばかり、
「……ん? んん?」
と、思わなくもないのですけれども。


大場栄 - Wikipedia
サイパンの戦い - Wikipedia


正直自分もサイパン戦は玉砕戦だったなあ程度しか知識はなかったです。
真珠湾攻撃を指揮した南雲長官がこの戦いで亡くなられているという程度……映画『大日本帝国』でそのシーンがあったので。
大場隊の存在は今回初めて知りました。
(日本軍は中隊単位で運用されることが多く、部隊の名はおおむね中隊長の名でOO隊と呼ばれていました)



二冊の本は基本的にどちらもノンフィクションではあるのですが、
その違いを説明する……前に、
事前のおななしとして。
いわゆるノンフィクション。


読む時には充分眉に唾塗ってください。


“The reason why”(なぜならば:受験英語
書籍というのは必ずそこに主題(テーマ)があります。
著者が読者に訴えかけたい、伝えたい、そんな『なにか』があるんですね。
ノンフィクションは事実を元に、著者が『なにか』を訴えよう、伝えよう、とする物です。
天災、人災、病気に戦争。
まさに『浜の真砂は 尽きるとも 世にノンフィクションの 種は尽きまじ』 です。
著者は事実を元に読者へ主題を提起するわけですが、
その際、
『事実』は必ずしも『主題』と一致するわけではありません。
サイパンの戦いという事実はありましたし、
大場栄さんという方もそこにいました。
ですが、
ですが、
この二冊の本も、
この都度封切られる劇場映画も、
著者の意図したかたちへと、著者の意図した『かたち』へと、
なんらかの加工をされて伝えられます。


この点だけ注意してください。


今回の戦争物に限らず、
ノンフィクション物の全てにおいてです。


とはいえ、
なにも最初から内容を否定して取りかかれとか、
斜(はす)に構えて受け取れとか、
そういう意味ではありません。
……読む前から疲れちゃいますよ、そんな態度だったら。


重要なことはですね、
主題を主題としてしっかり受け止めて、
この品は何を伝えたいのかな、
自分の心に残った物は何なのかな、
それを、
それをご自身で確認する作業が必要なんです。
ということです。


自分は戦記物、それも第二次世界大戦で日本の兵士側から描かれた品が好きでして、この場でもよくご案内させていただくのですが、


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タッポーチョ 太平洋の奇跡 ドン・ジョーンズ 中村定・訳


原作の方。
冒頭に大場栄さんの寄稿が載せられているのですが、
取材の申し出(オファー)を受け取って、返答するまで、
……かなり悩まれてます。


そりゃあねえ、と。
できることなら忘れたい、思い出したくない内容であったことは、
戦争を知らない世代の自分にもわからない話ではないのです。
では誰が遺すのですか? という話にもなってきます。



自分は確かに軍オタでガンマニアなのですけれども、
歴史という物、
その中で戦争という時代、
そしてそこに生きていた人の話。
このことばかりは、
軍オタ、ガンマニア関係なく受け取るべきなのではないかなと。
今こうして平和な時代に日々を過ごしている身分として、
その昔どれほどのことがあったのかは、
受け取るべき責任があるように思えます。



でもですねー、ちょっとくだけますが、
今回のこの品に限らず、戦記物というのは本当に多いので、
全てを受け取ろうなんてコトは無理です。
軍オタの自分にだって無理です。
だって明日も仕事ですから。
だって文庫本二冊で半日終わりましたから。
アニメも観たいしマンガも読みたい。
自分にとって大切な人たちと会って食事をしたり莫迦話もしたい。
そのうえ洗濯もして布団も干して……時間は限られています。
ですので、
機会があれば、
機会があった時に、その時に、
そして自分に用意があった時に、
受け取ればいいのではないのでしょうか。



そんなこんなで、
書を通じて半日ばかり意識があの時代のあの場所に飛んでました。




しかし、
今回久しぶりに自分の中のスイッチが入ってしまいまして。
二冊通して読んでますといつの間にかそこにいる一人になっちゃうんですね、自分。
主人公の大場大尉に率いられる日本軍兵士としてその場の成り行きを見守っているというような。
中二病? 高二病
ああ、そんなものです。
ぼろぼろの軍服を身に纏って大場大尉の傍にいる自分がいます。
自分の想像力が豊かなのかそれとも妄想癖でもあるのか、よくはわからないのですけれども。
糧秣(食料)がないという記述があればおなかを空かせている自分がそこにいますし、水がないという記述を見つければ喉がからからな自分がそこにいます……自室でお茶を飲みながら読んでいるというのに。


うーん、
笑います?
笑われても仕方ないかなあ。
反論はできないですから。


馳せる思いは書に載せて。


活字。


すきだなあ。



うん。